タン・ア・ブルッフ鉄道駅、グウィネッズ

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この駅は、港町ポルスマドグとスレート鉱山ブラエナイ・フェスティニオグを結ぶフェスティニオグ鉄道のほぼ中間のS字カーブを描く地点にあり、ここで逆方向に向かう列車がすれ違う。

駅が正式にオープンしたのは1873年だが、おそらく1872年から使用されていた。この鉄道が客車を導入したのは1865年で、昔からの貨車の運行が馬から蒸気機関に代わってから2年後のことだった。ほどなく、タン・ア・ブルッフ駅は、乗客が降りて周囲の森林地帯を散策する人気スポットとなった。

ウェールズ語で、タン(tan)は「下の」を、ブルッフ(bwlch)は「峠」を意味する。Tan-y-Bwlch の発音は、こちら (11KB) をクリック。ここで言う峠は、駅の少し西にあり、スランブロセンへの道路に沿っている。駅周辺にはかつてローマ街道が通っており、また1854年までは、現在のカフェ付近に踏切があった。駅からの道を下って右へ曲がると、小さな鉄橋が見える。その橋は迂回路のために、1854年にボストン・ロッジ工場で鋳造されたものだ。

鉄道が馬に頼っていた頃、スレート(粘板岩)を積んだ貨車はブライナイ・フェスティニオグから海辺へと重力で下れるよう工夫されていた。そういう重い貨車が、ごく普通に、タン・ア・ブルッフ峠をノンストップで走り下っていたものだった。

Old postcard showing Tan-y-Bwlch station mistress珍しいことに、第二次世界大戦の前は、この駅は一人の女性によって管理運営されていた。ベッシー・ジョーンズは、伝統的なウェールズの民族衣装を着て、お茶や絵葉書を乗客に販売した。1873年に建設された当初の駅舎は、駐車場の端に今も残っている。

タン・ア・ブラッフ駅は1939年に閉鎖され、1958年に再びオープンされた。鉄道愛好者たちがここをポルスマドグからの列車の一時的な終着駅として、その一方で、次の区間の軌道を修復していった。2012年には、19世紀のオリジナルを復元した木製の歩道橋が設置された。駐車場の端にある珍しい信号の複製品にもご注目。信号のアームが垂直な支柱から突き出ている。 

郵便番号: LL41 3AQ    所在地の地図

フェスティニオグ鉄道 ヒストリー・ポインツ

フェスティニオグ鉄道のウェブサイト

翻訳: 藤沢邦子

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