スティーブンソンの管状鉄橋、コンウィ

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button_lang_englishスティーブンソンの管状鉄橋、コンウィ

Painting of tubular bridge construction
© 科学博物館 科学&社会 ピクチャー・ライブラリー(SSPL)

コンウィ城のそばを走る鉄道線路は、河口にかかる橋でもある2本の「鉄のトンネル」の中に消えていく。この先駆的な設計は、有名な技術者イザムバード・キングダム・ブルネルやウィリアム・フェアバーン等の協力を得て、鉄道技師ロバート・スティーブンソン(1803-59)が手がけたものである。

彼らは、列車一両を支えるためには、巨大なチューブ(管状トンネル)はその上部と下部で何列もの小さなチューブ(管状の梁)で補強する必要があると考えた。この原理と技術が、コンウィ鉄道橋を、やがて全世界に普及する「箱桁ガーダー」鉄橋の元祖たらしめたのだ。右下の写真は、バンゴールに彼が設計したブリタニア橋のチューブの断面図である。ブルネルは、この管状原理を応用して、チェプストウに鉄道橋を建設した。

これらのチューブは浜で建造され、はしけに浮かべて、(数々の失敗を経て)所定の高さまで持ち上げられた。科学博物館/SSPLの許可を得てここに掲載bangor_britannia_bridge_cross_sectionしている絵画は、2本目のチューブを持ち上げようとしている光景である。

スティーブンソン自身が、1848年4月18日に蒸気機関車で初めてこの橋を渡った。1本目のチューブはその年の5月1日に完成し、2本目のチューブは1849年1月に設置された。

Photo of train at tubular bridge
© 国立鉄道博物館 科学&社会 ピクチャー・ライブラリーSSPL)

1899年に補強のための橋脚が入江の水路の両側に加えられた。列車は、隣接する城に調和するように設計された立派な石造りの橋門を通って、チューブに入る。国立鉄道博物館/SSPL提供のこの写真(1930年代)は、ホーリーヘッド行き急行が鉄橋から出てきたところを示す。

管状鉄橋の全景を見るには、南側の、スランルスト通りのローンボウリング場グリーン付近が最適である。現在、橋はネットワーク・レイルが所有・保全している。

スティーブンソンは同じ原理の橋を、カナダの非常に長いものを含めて3つ建設したが、管状鉄橋として現存するのはコンウィだけである。

この付近には、ロンドン&ノースウェスタン鉄道(クルー)が建設した貨物クレーンがある。同鉄道はガフィン川の北岸に造られた広い土手を占有した。主要線路と市壁のあいだには操車場と物品倉庫があり、そこで貨物の荷揚げや荷降しが行なわれた。

フットノート: スティーブンソンの管状鉄橋についての補注

所在地の地図

この地域にある他の鉄道ハイポイント: 

コンウィ鉄道アーチ
スランディドゥノ・ジャンクション駅 ― 珍しくも、町の名は駅名に因んでいる
上記の画像その他のプリントが入手可能

翻訳: 藤沢邦子